美しさと希望の基にある言葉(信音6月号巻頭エッセー)

 いつのことであったか、帰路の電車の中で、乗客が肩から下げていたトートバックに書かれている言葉に目が留まりました。そこには“Behind every beautiful thing, there has been some kind of pain”とありました。「あらゆる美しい事柄の背後には、なんらかの痛みがあるものだ」。いったい誰の言葉なのだろう、と気になって調べてみたところ、それは、ボブ・ディランの“Not Dark Yet(まだ暗闇ではないけれど)”という楽曲の歌詞の一部であることを知りました。

病気で生死の境をさまよい、激しい痛みにのたうつ入院生活の日々の中にあって「俺は、もうすぐエルヴィスに会うんだと、本気で思っていた」と語ったほどに人生の暗闇を見つめていたと言われています。「まだ暗闇ではないけれど、そうなりかけている、夕暮れが迫りくる中、ずっとここにいる、眠るには暑すぎて、時間ばかり飛び去ってゆくんだ、俺の魂はだんだんと凍てついて鉄のようになっていく、人であるという感覚も流れ失せてゆくんだ。あらゆる美しい物事の後ろに、何かしらの痛みがあるものだ」と。

 

数年前、東北に人を訪ねたときのことが思い出されました。8年前の津波で23年連れ添った夫と最愛の娘さん、息子さんを失った方でした。特に娘さんは、この方の背中を追うように看護師を目指し、国家試験にも合格して、免許を交付されることになっていただけに、喪失の深さは計り知れないものでした。そのような中で、ミッション系の中高を卒業した娘さんが遺してくれた言葉を思い起こす、と言われました。「艱難は忍耐を生みだし、忍耐は練達を生みだし、練達は希望を生み出すことを知っている。そして希望は失望に終わることがない」。娘さんは、この聖書の言葉をとても大事にしていた、と。最初に聞いた時は聞き流しておられた。でも家族を失い、真っ先にこの言葉を思い起こした。今は一筋の希望となっている、と

 

聖書の言葉は数千年に亘って聖書の民に連なる多くの人々の傍らにあって、喜ぶ人の喜びに花を添え、悲しむ人の慟哭に寄り添ってきたものです。辛い思いをしている時に一緒に心を寄せる言葉に慰められることがあります。聖書の言葉が「わたしの道の光」、「わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)となるのは、明るい昼間ではないのです。むしろ、どうしていいかわからないほど先が見通せなくて真っ暗に思える闇の中でこそ「光」となり「灯」となるのです。礼拝で語られるみ言葉を通して、まことの命の言葉が、わたしたちの周りにいる人たちの魂に、希望と美しさをもって点されますように。(左近 豊)